ケイボンのブログ

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最強のホスピタリティ

最強のホスピタリティなんて、大層な題名をつけてしまったけど、そんなに凄いことを話すわけでもなく・・・・・・

 

これから紹介するホスピタリティは、やれ帝国ホテルのドアマンの接客がどうだったかとか、やれ、高級旅館の女将のおもてなしがどうだったかとか、そんなホスピタリティではない。

 

おばあちゃんの話

 

というのも、俺はある日ふと、おばあちゃんって、最強のホスピタリティの持ち主なんではないかなと思ったから。

 

誰もが少年時代を思い浮かべれば、共感してもらえると思う。

 

俺の体験から話すと、主に帰り際、のふたつに絞られる。

 

まず、飯。俺がいつ行っても、まるで熱海の高級旅館の夕食のごとく、ボリュームのある量を提供してくれる。

 

そして、なんといってもその心遣い。

 

俺に腹いっぱい食べてほしいと、ただただその一心で料理を笑顔で作ってくれた。

 

そんなホスピタリティに報いようと、いう気持ちがなかった当時の俺は飯を残してしまっていたんだ。後悔。

 

これが第一のホスピタリティ。

 

それでは次に第二のホスピタリティを紹介しよう。

 

この第二のホスピタリティは俺の中で、「おばあちゃんホスピタリティ最強」だと考えている。

 

それはずばり帰りのお見送りだ。

 

俺の家とおばあちゃんの家は離れているため、必ず両親の車に乗って、おばあちゃんの家まで向かっていた。

 

もちろん帰りも、「やっぱりタクシーやバスを使って帰る!お母さん、先帰ってていいよ!」などと親を困らす天邪鬼な行為はせず、普通に親の車に乗り込んで、自宅への思いをはせる。

 

当時流行っていたベイブレードやらプレステ2のゲームやら。

 

しかしそんな俺の気持ちとは関係なしに、おじいちゃんとおばあちゃんは、名残惜しそうに車内の俺を見つめていてくれたっけ。

 

そう考えると、俺と祖父母の間って、ひどい温度差だったよな、と今では当時を思い出して苦笑いだ。

 

今思うと、なかなかせつない気分になる。

 

そして、車の窓を開けて二言三言交わした後、いよいよ発車してしまうわけ。

 

遠くなる祖父母の家を、俺は後部座席で後ろ向きの姿勢から、確認。

 

なんとなく、見てしまうのよね。「まだ、いるのかなぁおじいちゃんとおばあちゃん。」、なんて気になって。

 

いてほしいけど、、、いなかったら寂しいな、なんて思いを抱きながら確認すんのよ。

 

すると、おじいちゃんは、小屋の鳥小屋にひっこもうとしているのだが、おばあちゃんはまだこちらを見ている。

 

目が悪いおばあちゃんは、俺が後部座席から振り向いて確認しているなんてわからないはずなのに。

 

いや、例え視力が良かったとしても、車のサイドに付いてる窓から祖父母の家の方向を見ているときもあったので、俺のアクションは関係なく、見送り続けていたということになる。

 

この当時はそれが普通のこと(俺が見えなくなるまで見送りしてくれること)だと思っていたから、そうではないときの寂しさといったらないね。

 

就活のときとか美容院いくときとかさ。

 

そう考えると、やっぱりおばあちゃんのホスピタリティって、最強なんじゃないかなって思ってしまう。

 

まぁホスピタリティ本来の意味や使い方からしたら、大分違うのかもしれないけど。

 

でも、おばあちゃんみたいな従業員しかいないホテルや旅館に泊まれたら、最高に癒されるし、気分よく帰ることができることは確かだと思う。

 

「おばあちゃん旅館」、「おばあちゃん民宿」、「おばあちゃんコンビニ」、、、最後は少し違うか。