ケイボンのブログ

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店の人が出てこない昔ながらの駄菓子屋について

 

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皆さんは昔ながらの駄菓子屋にいったことがあるだろうか?

 

駄菓子屋といっても、「お菓子のまちおか」のような、高校生のバイトが働く、チェーン店のことではない。

 

僕が言いたいのは、築200年くらいの木造で、店内には線香の匂いがプーンと漂い、入り口の引き戸はガタガタと大きい音をたてる上、錆び付いてるせいかスンナリ開かず、予想外のパワーを費やしてしまう。。。

 

そんな「昔ながら」の駄菓子屋のことだ。

 

「昔ながら」の、いわばノスタルジックな駄菓子屋は、楽しかった子供時代を思い出す重要なキーであると思う。しかし、自分にとっては「恐怖の思い出のトリガー」であった。

 

僕が小学生の頃、「学校からの帰り道に」or「家に1度帰ってから」駄菓子屋へ立ち寄るというのは自然のことだったことを覚えている。大体まだ外は青空で、日光も強く照りつけている午後15時くらいの時間帯だ。

 

なのにだ。駄菓子屋の前に立っても、店内の様子がはっきり見えない。断っておくと、決してスモークガラスなどではないのだ。芸能人などいないのだから。

 

例えるなら、赤坂見附ステーキ屋ぐらい薄暗かった。 端的に言うと地下室。

 

ただいくら暗くて怖いからと言って店内に入らないわけにはいかない。

 

「暗がりを怖がる自分」など、当時の自分にとって仲の良い友人や慕ってくれる後輩に顔向けができないから。

 

小学生の頃って何かに怯える自分とか、何かに熱くなる自分がたまらなく恥ずかしい時期だった。

 

それはともかくとして、なんとか勇気をふり絞って、駄菓子屋の店内に入ると......

 

 

 

 

誰もいない。これはおかしい。年齢不詳・職業不詳(駄菓子屋)のご老人が座布団の上に鎮座しているはず......

 

ふと、鼻がムズムズし始める。店内は、線香の匂いが充満していた。

 

 

20秒ほどたったと思う(体感は10〜15倍の時間)。

 

 

 

 

 

 

KO・NA・I(来ない)。

 

 

 

 

 

 

 

これこそ、恐怖ポイントその2「タイミング外し」だ(1は暗さ)。

 

とにかく、駄菓子屋の住人はこちらが予測するタイミングを外してくる。「客がドアを開けた瞬間、奥の方から引き戸が空いてゆるりゆるりとやってくる」というこちらの希望を簡単に打ち砕くのだ。

 

これはおかし(お菓子)いと思った。

 

なぜならチリンチリンとドア上の鈴がなる場合もあるし、立て付けの悪い扉だったら、ガタガタと鳴る音で、「あ、お客さんかな?」と気がつくはず。

 

ただなにぶんご老人であることを忘れてはいけない。耳が遠く、「音」で来客を感知することができない場合がある、ということ。

 

幼い頃の僕はその辺りの事情を全く考えられていなかった。そこは反省している。

  

とりあえず待てども待てども、店の人が出てこない時は、仕方ないので、「すみませ〜ん!」と大声をだす他ない。

 

「すみませ〜ん!」を何回かくりかえす。恥ずかしい。これも嫌だった。

 

でも、まるで物音がしない。恋愛小説風(?)にいうと、「この世界に僕しかいなくなったような」。

 

「ちょっと待ってて、お前が気に入りそうないいワインがあるんだよ」とでも言い残し地下の薄暗いワインセラーの奥へ消えていく、ワイン好きの金持ちの友達とのやりとりだったら、この状況も納得だ。

 

違う。駄菓子屋にあんドーナツを買いに来ただけだ。

 

永遠とも思えるような時間がすぎ、もう帰ろうかなと、翻そうと思った瞬間。

 

目をこらすと暗がりから、ぼやっとした輪郭が徐々にサイズを大きくして、ススス.....と近よってくるのがわかる。

 

図太さの極地とも言えるこの登場(足が悪い場合もある)は、ある意味、駄菓子屋の風物詩・シンボルと言えるだろう。

 

さて、まだ恐怖の時間は終わっていない。注文をしないといけないのだ。しかも大声で。

 

タイミング・薄暗いという二つの畏れを引きずる少年の縮まりかえった声帯では、老人の耳に届く音量を調節できない。

 

「その耳の補聴器はなんのためにつけてるんだ」と憤慨したこともあったが、今となっては仕方のないことだと思える。

 

こうした体験をへて、僕は大人になったのだ。

 

 

最後に

「待ってる間の暗さの恐怖」プラス「タイミングを外されてやってきた時の恐怖」、「そして声が届かず恥ずかしい思いをする恐怖」という三段構えは、昔ながらの駄菓子屋に行く際、必ず覚悟しなければいけないことだ。

 

 

しかし、そんな昔ながらの駄菓子屋へ行かなくなった今の僕は、少年の頃持ち合わせていた何か大事なものを無くしてしまったのかもしれない。